営業が値引きに走るのは、交渉力が足りないからではありません。売上高だけを見る指標のもとでは、値引きして受注するのが担当者にとって最も合理的な行動だからです。指標がそのままである限り、交渉研修を何度実施しても行動は変わりません。

本記事では、値引きが粗利をどれだけ削るのかを計算で示し、承認制の設計、粗利を軸にした評価への移行手順、そして買い手からの値下げ要求が法令上の論点になる場面までを整理します。

値引きが粗利を削る速さ

まず、値引きと粗利の関係を数字で確認します。売価100万円、原価70万円(粗利率30%)の案件を例にします。

値引き率売価原価粗利額粗利率粗利の減少
0%100.0万円70万円30.0万円30.0%
5%95.0万円70万円25.0万円26.3%16.7%減
10%90.0万円70万円20.0万円22.2%33.3%減
20%80.0万円70万円10.0万円12.5%66.7%減
30%70.0万円70万円0万円0%全額消失

原価は値引きしても変わらないため、値引き額はそのまま粗利から引かれます。粗利率30%の商材では、10%の値引きで粗利が3分の1消えます。

同じ粗利額を値引き後に取り戻すために必要な販売数量も計算できます。上の例で10%値引きした場合、粗利額は30.0万円から20.0万円に減るので、元の粗利を確保するには1.5倍の数量が要ります。20%の値引きなら3倍です。

粗利率が低い商材ほど、値引きの影響は急になります。 粗利率20%の商材であれば、10%の値引きで粗利は半分になります。この計算を案件ごとに提示できる状態にすることが、後述するすべての施策の前提です。

売上高KPIが生む3つの歪み

歪み1:値引きが担当者にとって合理的になる

売上目標だけで評価される場合、担当者の立場では、粗利を削っても受注件数を積むほうが評価されます。これは個人の姿勢の問題ではなく、指標に対する正しい反応です。

歪みが見えにくいのは、売上目標が達成されている間は問題として認識されないからです。営業利益が計画を下回って初めて、原因の探索が始まります。

歪み2:値引き以外の譲歩に逃げる

値引きだけを承認制にすると、担当者は金額に現れない譲歩に切り替えます。

  • 納期を前倒しし、製造や実装の側に無理をさせる
  • 契約範囲外の作業を無償で引き受ける
  • 支払サイトを延ばす
  • 保守・サポートの範囲を口頭で広げる

これらは受注時の帳票には現れません。コストは別部門の残業や、後工程の追加作業として発生します。金額の値引きよりも管理が難しいのは、こちらのほうです。

歪み3:値引き幅が担当者ごとにばらつく

同じ商材で、担当者によって最終価格が大きく異なる状態が生まれます。顧客側に情報が伝われば、次回以降の交渉はその最低価格が出発点になります。

一度下げた価格を戻すのは、新規に設定するより困難です。既存顧客の更新時に値下げ要求が前提になっている場合、この段階に入っています。

自社の状態を確認する

次の5項目のうち、当てはまるものを数えてください。

確認項目当てはまる場合に起きていること
売上目標は達成しているが、営業利益が計画を下回る値引きが利益から出ている
案件ごとの粗利を、受注時点で担当者が把握していない判断材料が現場に無い
同じ商材の最終価格に、担当者間で大きな差がある価格が属人化している
既存顧客の更新時に、値下げ要求が前提になっている過去の値引きが基準化している
受注後の追加対応やサポート工数が、部門横断で増えている値引き以外の譲歩に逃げている

3つ以上当てはまる場合は、研修ではなく指標と権限の設計から着手してください。

打ち手1:案件ごとの粗利を、受注前に見える状態にする

担当者が粗利を知らないまま値引きしている組織は珍しくありません。最初にやるのは、受注前の見積段階で粗利額と粗利率が表示される状態を作ることです。

  • 配賦の議論には入らない。仕入・外注・直接人件費など、案件に直接ひもづく費用だけで限界利益を出す
  • 値引き額を入力すると、粗利額と、元の粗利を取り戻すのに必要な数量が同時に出るようにする
  • 過去12か月の受注案件について、同じ計算をさかのぼって適用する

3番目が効きます。過去の実績で計算すると、どの顧客・どの商材で粗利が薄いかが具体的に出ます。 一般論ではなく自社の数字になるため、この後の制度変更の合意が取りやすくなります。

打ち手2:譲歩の種類ごとに承認の基準を決める

値引きだけを承認制にしても、歪み2のとおり別の譲歩に流れます。譲歩の種類を並べ、それぞれに基準を置きます。

譲歩の種類決めること
金額の値引き担当者の裁量で下げられる上限。それを超える場合の承認者
納期の前倒し後工程に確認を取る基準。確認なしに約束できる範囲
範囲外の作業無償で引き受けてよい工数の上限と、記録の方法
支払条件延ばしてよいサイトの上限
保守・サポート範囲契約書に書かれていない約束を口頭でしない運用

承認の基準を決めるときは、承認の階層を増やさないことを優先してください。決裁が重くなると、担当者は承認の要らない譲歩を選びます。承認者は1段だけにし、判断の期限を決めます。

打ち手3:評価指標を段階的に粗利へ移す

いきなり全社の評価制度を入れ替えると、期中の目標が崩れて現場が混乱します。順序を踏みます。

段階やること完了の基準
1粗利を「測るだけ」で評価には使わない期間を置く全案件の粗利額・粗利率が記録されている
2粗利額を評価に加える。当初は売上との併用にする評価表に粗利の項目がある
3粗利額と粗利率の両方を見る大型の薄利案件と小型の高粗利案件が比較できる
4価格を守った交渉のプロセスを評価対象に加える値引き要求を受けて条件を変えずに受注した案件が記録されている

段階4を入れる理由があります。粗利だけを結果で評価すると、担当者は値下げ要求の強い顧客を避けるようになります。価格を維持しようとして失注した案件を減点しない基準を同時に置かないと、交渉そのものが行われなくなります。

商材区分ごとの目標の分け方や、チーム単位での評価との組み合わせは営業のチーム評価の設計で扱っています。

打ち手4:価格の根拠を、値引き交渉の前に持つ

値引き要求に対して「下げられません」とだけ答える運用は続きません。下げない理由を、顧客にとっての価値の側から説明できる状態にします。具体的な組み立ては相見積もりで価格以外の基準をつくる方法に整理しています。

分業型の営業体制では、価格の話がどの段階で出るかによって打ち手が変わります。商談前の段階での基準づくりはインサイドセールスの役割とKPI設計も参考になります。

買い手側の要求が法令上の論点になる場合

自社が受託側で、継続的に値下げを求められている場合は、取引の形態によって法令の対象になることがあります。

中小受託取引適正化法(製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律、昭和31年法律第120号)第5条は、委託事業者に対して次の行為を禁じています。

  • 中小受託事業者の給付の内容と同種または類似の内容の給付に対し通常支払われる対価に比べて著しく低い代金の額を不当に定めること(第1項第5号)
  • 中小受託事業者の責めに帰すべき理由がないのに、代金の額を減ずること(第1項第3号)
  • 費用の変動その他の事情が生じた場合に、中小受託事業者が代金の額に関する協議を求めたにもかかわらず、協議に応じず、または必要な説明や情報の提供をせず、一方的に代金の額を決定すること(第2項第4号。これにより中小受託事業者の利益を不当に害してはならない)

3番目は、原材料費や人件費が上がったときに「協議に応じない」こと自体を問題として扱っています。 自社の取引が同法の対象になるかは、委託の種類と資本金の区分によって決まります。該当する可能性がある場合は、値引き要求のやり取りを記録に残したうえで、公正取引委員会または中小企業庁の相談窓口で取引の実態に沿って確認してください。

まとめ

  • 値引きは交渉力ではなく指標の問題です。売上高だけを見る限り、値引きして受注するのが担当者にとって合理的です。
  • 粗利率30%の商材では、10%の値引きで粗利が3分の1消えます。元の粗利を取り戻すには1.5倍の数量が要ります。
  • 値引きだけを承認制にすると、納期・無償作業・支払条件といった金額に現れない譲歩に逃げます。譲歩の種類ごとに基準を置いてください。
  • 移行は「測るだけ」の期間から始め、粗利額、粗利率、価格を守った交渉プロセスの順に評価へ加えます。
  • 価格を維持して失注した案件を減点しない基準を同時に置かないと、交渉自体が行われなくなります。
  • 継続的な値下げ要求は、取引の形態によって中小受託取引適正化法第5条の論点になります。

出典

  • 中小受託取引適正化法(製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律、昭和31年法律第120号)第5条 — e-Gov法令検索