買収した事業から撤退できない状態は、経営陣の執着ではなく、判断の材料と手順が用意されていないことから生まれます。撤退を決めれば損失が表に出る一方、続ければ当期の損益は動きません。この非対称がある限り、撤退基準を持たない企業では先送りが合理的な選択に見えてしまいます。本記事では、のれんの会計上の扱いを確認したうえで、買収の段階で撤退基準を決める手順を整理します。

M&Aの成否は、成立ではなく成立後に決まります

中小企業庁が令和4年3月に策定した「中小PMIガイドライン」は、M&Aの「成功」はその成立ではなく、M&Aの目的として当初に期待された効果を実現できるかどうかによる、としています。同ガイドラインは、M&Aの成立を「スタートライン」と位置づけ、その後の統合作業(PMI)を適切に行うことが重要だと述べています。

同ガイドラインに引用された調査では、M&Aが期待を下回った理由として次の項目が挙げられています(複数回答、出典は三菱UFJリサーチ&コンサルティング「成長に向けた企業間連携等に関する調査」2017年11月)。

期待を下回った理由割合
相乗効果が出なかった44.7%
相手先の経営組織体制が脆弱だった36.8%
相手先の従業員に不満があった28.9%
企業文化風土の融合が難しかった22.8%
経営・事業戦略の統合が難しかった7.9%

上位に並ぶのは、買収時の価格交渉ではなく、統合後に現れる要素です。同ガイドラインは、PMIをM&Aプロセスから検討を開始し、成立後おおむね1年の集中実施期を経て、それ以降も継続的に実施される取組と位置づけています。特にPMIの推進体制の確立、関係者との信頼関係の構築、成立後の現状把握などは、100日までを目処に集中的に実施するとしています。

裏を返せば、期待どおりにならない事態はあらかじめ想定できる範囲にあります。想定できるものに対しては、起きた後の扱いを先に決められます。

のれんの扱いを確認すると、先送りの構造が見えます

企業会計基準第21号「企業結合に関する会計基準」第32項は、のれんについて「資産に計上し、20年以内のその効果の及ぶ期間にわたって、定額法その他の合理的な方法により規則的に償却する」と定めています。あわせて同基準は、のれんが「固定資産の減損に係る会計基準」(平成14年8月、企業会計審議会)の適用対象資産となることから、規則的な償却を行う場合においても、同会計基準に従った減損処理が行われることになるとしています。

つまり、買収した事業の収益力が計画を下回った場合、その影響は償却費として毎期少しずつ現れるか、減損損失としてまとまって現れるかのいずれかです。撤退や事業価値の見直しを決めた期に損失が集中するため、決めない限り当期の数字は動きません。この構造が、判断を先送りする側に働きます。

ここに、投じた額が大きいほど継続したくなる傾向が重なります。ハル・アークスとキャサリン・ブルーマーが1985年に発表した「The psychology of sunk cost」(Organizational Behavior and Human Decision Processes 35巻1号、124〜140頁)は、金銭・労力・時間を投じた後ほどその取り組みを続ける傾向が強まること、その動機が「無駄にしたと見られたくない」という点にあることを報告しています。買収対価という最も大きな支出を済ませた後に撤退の議論を始めても、冷静な判断が難しいのはこのためです。

撤退の閾値は「赤字かどうか」で決めません

経済産業省が2020年7月31日に公表した「事業再編実務指針〜事業ポートフォリオと組織の変革に向けて〜(事業再編ガイドライン)」は、事業ごとの資本収益性を測る指標としてROIC(投下資本利益率)を導入し、資本コストとの比較や競合他社との比較を行うことが重要だとしています。そのうえで、自社が「ベストオーナー」ではない事業を抱えていても成長戦略の実現は難しいため、黒字であっても、その事業における資本収益性が資本コストを下回り回復が難しいと見込まれる段階で早期に切出しの決断を行うことが重要であるとしています。ベストオーナーとは、同指針では当該事業の企業価値を中長期的に最大化することが期待される経営主体を指します。

この考え方を買収案件に当てはめると、判定すべきは次の3点になります。

  • 買収した事業のROICが、その事業に資金を置いておくコストを上回っているか。
  • 上回っていない場合、回復の見込みは具体的な根拠に支えられているか。
  • 自社より高い価値を引き出せる買い手が他にいないか。

赤字を撤退の条件にすると、黒字のまま資本を寝かせている事業が判定から外れます。同じ考え方を全社の事業単位に広げる方法は、経営戦略に撤退基準を組み込む方法で扱っています。

買収契約の段階で決める4項目

1. 判定指標と閾値

買収後に追う指標を、買収時の事業計画と同じ単位で決めます。ROICと資本コストの比較を軸に、事業計画の主要な前提(数量、単価、シェアなど)から1〜2項目を補助指標として添えます。指標を多く置くほど、抵触の解釈で議論が止まります。

2. 判定の時期

判定する日を、成立日からの経過期間で指定します。中小PMIガイドラインが集中実施期を成立後おおむね1年としていることを踏まえ、最初の判定はこの区切りに合わせると、統合作業の進捗と収益の実績を同時に見られます。以後は年次で同じ判定を繰り返します。

3. 未達時の猶予期間と、その後の手順

閾値を下回った場合に改善策を実行する期限を決め、期限を過ぎても回復しない場合の手順(追加投資の停止、売却の検討開始、清算の検討)まで書きます。ここが空欄だと、判定の時期が来ても「次期の計画を見てから」で終わります。

4. 判定する人

買収を主導した担当役員や推進部門が、そのまま事後評価と撤退判断の権限を持つ構造を避けます。事業再編実務指針は、事業の切出しに関して経営陣に「現状維持バイアス」がかかりやすいとの指摘があるとして、社外取締役の積極的な関与を求めています。判定は、推進から独立した会議体で行う設計にします。

運用でつまずく3つの箇所

改善計画の再提出だけで期が過ぎる。 計画を出し直すこと自体は必要ですが、それを判定の代わりにしないことです。判定の日には、前回の計画と実績の差を先に確認します。

減損の回避を目的に事業計画を作り直す。 将来キャッシュ・フローの見積りを楽観側に置き換えれば、当期の損失は回避できます。ただし判断の材料が失われるため、翌期以降の判定も同じ理由で先送りされます。見積りの前提を変える場合は、変更点と根拠を記録に残します。

撤退を担当者の失点として扱う。 基準どおりに停止した案件を評価上の失敗として扱うと、次の案件では悪い数字の報告が遅れます。判定に沿って止めたことは、計画どおりの運用として記録する扱いが必要です。

過去の投資額に基づく撤退基準の運用は、サンクコストを防ぐ経営判断とPPM・撤退ルールで、不採算事業全般の基準づくりは不採算事業の撤退基準のシステム化で扱っています。

買収の稟議書に、撤退の閾値と判定の日付が書かれているか。この一点が、のれんの減損を計画の一部として扱えるか、それとも突然の損失として受け止めることになるかを分けます。