見込みのない案件が、四半期をまたいで「もう少し様子を見る」で延命される。この現象は、担当者の決断力や胆力の不足ではなく、撤退の判断材料に「これまでいくら使ったか」を残したままにしている決裁の様式から生まれます。

本記事では、サンクコスト効果が組織の意思決定に入り込む経路を分解し、判断材料からサンクコストを物理的に外すための手続きを示します。制度としての評価の設計は赤字プロジェクトの継続理由と評価制度で扱っているため、ここでは決裁と様式の側に絞ります。

サンクコスト効果とは、戻らない費用を判断材料にしてしまうこと

サンクコスト(埋没費用)とは、すでに支払っていて、この先どの選択肢を選んでも回収できない費用のことです。開発に投じた人件費、支払い済みのライセンス料、撤去できない設備の取得費などが該当します。

合理的な判断であれば、比較すべきは次の2つだけです。

  • 継続する場合:これから追加で必要になる投資額と、これから得られる見込み
  • 撤退する場合:撤退そのものにかかる費用と、解放される人員・資金の再投下先

すでに支払った金額は、どちらを選んでも変わりません。したがって比較には入りません。それでも、累計の投資額が会議資料の1ページ目に載っていれば、その数字は「取り戻すべきもの」として扱われます。これがサンクコスト効果です。

組織では、個人の心理に「説明責任」が上乗せされる

個人が有料の映画を最後まで観てしまうのとは異なり、組織の撤退判断には説明責任が加わります。撤退を提案すれば、その案件を起案・承認してきた過程の是非が議題になります。継続していれば、判断はまだ確定していない扱いのままです。

つまり組織においては、サンクコストへの執着と、自分の判断の正しさを守ろうとする動機が、同じ方向を向きます。「損を確定させたくない」と「自分の見立てが外れたと認めたくない」が重なるため、個人の心がけでは崩れにくい構造になります。

監視を強めるだけでは、撤退は早まりません

撤退が遅いという問題に対して、社外取締役の増員や報告頻度の引き上げといった「監視の強化」が処方されることがあります。しかし、監視の強化は撤退を早める方向にだけ働くとは限りません。

渡辺周「強い監視による看過の増幅:コミットメント・エスカレーションに役員が与える影響」(『組織科学』第50巻4号、2017年)は、人は他者が自分に対して持つ良いイメージを守ろうとするため、監視や評価をされている状況では撤退を選ばない傾向があるという既存研究を踏まえ、外部出身の取締役が増えて評価・監視が厳しくなるほど、経営者が計画どおりに進んでいない案件から撤退しなくなる可能性を提示し、銀行の不良債権処理の事例を用いて定量的に検討しています。

この知見は実務上、次のように読み替えられます。

  • 見られている場で「私の判断は外れました」と言わせる設計は、撤退の申告を遅らせる
  • 撤退の是非を人の発言として扱う限り、監視を強めるほど自己正当化の誘因も強くなる
  • したがって、撤退は発言ではなく手続きとして発生させる必要がある

監視を否定しているのではありません。監視の対象を「担当者が正しい判断をしたか」ではなく「決めた手続きどおりに数値が処理されたか」に置き換える、という設計の話です。

惰性の継続と早期撤退では、失われるものが違います

継続の判断が先送りされたとき、失われるのは追加で投じた資金だけではありません。

比較項目惰性による継続基準に沿った早期撤退
資金回収見込みのない追加投資が発生し続ける追加投資が止まり、撤退費用だけが確定する
人員見込みの薄い案件に人員が拘束される人員を次の案件へ再配置できる
情報不都合な数値が報告されにくくなる外れた仮説が記録として残る
意思決定の速度「様子を見る」が前例になり、他案件にも波及する基準に沿った判断が前例になる

特に3行目が見落とされがちです。撤退の遅れが常態化した組織では、担当者が悪い数値を出しても議論が前に進まないと学習します。その結果、報告の精度そのものが落ち、次の案件の判断材料も劣化します。

サンクコストを判断材料から外す4つの手続き

1. 決裁書から累計投資額の欄を外す

継続判定の資料に載せる金額を、今後必要になる追加投資額と今後の見込みの2つに限定します。累計投資額は会計上の記録として別途残りますが、継続の可否を議論する資料には載せません。

「判断に使わない情報は、判断の場に置かない」という単純な原則です。数字が目の前にあれば人はそれを使うため、参加者の自制に頼らず様式で外します。

2. 「今から始めるとしたら投資するか」を必ず問う

継続判定の議題を、次の問いに置き換えます。

この案件が今まだ存在しておらず、現在わかっている情報だけを持った状態で、今日から新規に投資を始めるとしたら、この金額を承認しますか。

この問いは、累計投資額を構造的に無視させます。答えが「承認しない」であれば、継続している理由はサンクコストか、あるいは資料に書かれていない別の事情です。後者であれば、その事情を明示して議論します。

3. 継続にも決裁を要求する

多くの組織では、撤退にだけ決裁が必要で、継続は何もしなければ成立します。この非対称性が、意思決定の初期設定を「継続」に固定しています。

フェーズの区切りごとに予算の残りを失効させ、次フェーズの予算を改めて申請させる形にすると、継続と撤退が同じ手間の選択肢になります。システム開発における段階的な予算承認の具体的な組み方は、システム開発を中止できない罠と段階的予算承認で扱っています。

4. 撤退条件は開始前に書き、変更手続きも同時に決める

撤退条件を後から設定すると、そのときの状況を正当化する水準に落ち着きます。条件は案件の開始前に、承認の一部として文書化します。

同時に決めておくべきなのが、条件そのものを変更する手続きです。前提が実際に変わることはあるため、変更を一律に禁じると、条件は無視されるか、達成不可能な下限に設定されて形骸化します。変更は禁じず、「誰が」「どの資料をもって」「いつまでに」変更を申請するかを決め、変更の履歴を残す形にします。変更が繰り返される案件は、それ自体が判断材料になります。

計画書のどの欄に何を書くかは、プロジェクト計画書に撤退基準を書く方法にまとめています。

運用でつまずく3か所

判定の場に起案者が同席し、説明役を務めている。 資料の説明は起案者が行うとしても、判定そのものは起案者が退席した状態で行います。同席したまま数値の解釈を議論すると、判定は交渉になります。

撤退条件が売上や利益だけで書かれている。 売上は結果の指標であり、判明するまでに時間がかかります。前提が崩れたことが早く分かる指標(想定顧客の反応、必要な工数の見積もりとの乖離、前提とした市場データの更新)を、金額の条件と併せて置きます。

撤退の瞬間に損失が一括計上されるため、決算上の理由で引き延ばされる。 これは判断の歪みではなく会計上の制約なので、精神論では解けません。撤退の会計処理をいつ、どの期に載せるかを、財務担当と事前に整理しておく必要があります。四半期末の直前に判定日を置かない、という運用の工夫も有効です。

まとめ

サンクコスト効果は、意志の強さで克服する対象ではなく、判断材料と決裁の様式から取り除く対象です。

  1. 継続判定の資料から累計投資額を外し、今後の追加投資と見込みだけで比較する
  2. 「今から始めるとしたら投資するか」を定型の問いとして置く
  3. 継続にも決裁を要求し、初期設定を「継続」から動かす
  4. 撤退条件と、その変更手続きを開始前に文書化する

監視を強めるほど撤退が早まるとは限らない以上、撤退は個人の宣言ではなく手続きの結果として起こす必要があります。事業ポートフォリオ全体での位置づけは事業ポートフォリオ最適化と戦略的撤退の意思決定を参照してください。